獺祭の生みの親、旭酒造・桜井会長が語る
美味しい酒造りとセキスイ排水処理システム
印刷版PDF(会員限定)岩国市の山あい、獺越の地から世界に羽ばたく酒蔵がある。銘酒「獺祭」で酒好きを唸らせ、酒米を磨きに磨く酒造りの技でライバルの酒蔵までも驚かせる旭酒造(桜井一宏社長)である。その酒造りを舞台裏で支える排水処理設備に積水アクアシステムの排水処理システムが採用されていると聞き、獺祭の生みの親、桜井博志会長のお話を聞かせていただいた。
- 旭酒造の酒蔵がある岩国市周東町獺越は山奥の地。ここに酒蔵を開かれたのには理由があるのですか?
- この地に酒蔵ができたのは1700 年代のこと。運搬手段や防腐処理技術が未熟な昔の酒造りは地元消費にならざるを得ず、獺越で造った酒を獺越の人たちが呑んでいたということでしょう。
- 酒蔵ひとつ分の酒を獺越(おそごえ)の人たちで?
-
桜井会長:今は300 名足らずの過疎地ですが、この辺りに7 軒のお寺があったことからみても、かつては3000 名を超える人たちが暮らしていたのではないでしょうか。
全国の酒蔵の数にしても現在2000 棟を切っていますが、昭和の初期でも8000 ほどの酒蔵がありましたからね。
- その獺越の地で古くからつづいていた酒蔵を明治の頃、桜井会長のお祖父様が引き継がれたのですね?
- 桜井会長:祖父は光市で酒蔵を経営していたのですが、光市を流れる島田川を遡った先の支流・東川の川沿いに酒蔵の売り物があることを知って、これを買い取り「桜井酒場」の名の酒蔵としたのです。</d>
- 獺越の地との出会いが、その一文字をとった銘酒「獺祭」につながることに?
- 桜井会長:1990年の東京進出までは旭富士の名で地元向けに販売していたのですが、東京市場向けのプライベートブランドを開発するのにあたり、新しい名前をと考え、獺越の地名の由来となったカワウソと、そのカワウソが捕らえた魚を川辺に並べる様子をあらわす中国の故事「獺魚を祭る」から「獺祭」と名付けました。</d>
- 芭蕉の句に「獺の祭見て来よ瀬田の奥」があって、初春の季題にもなっていますね。今ならさしづめ「獺の祭呑みたや山あいの蔵」といったところでしょうか。
その東京進出が「山奥の小さな酒蔵」を「世界に羽ばたく酒蔵」に変貌させる契機となった頃、セキスイの生物膜排水処理設備からなる排水処理システムを新たに導入していただいておりますが? -
桜井会長:獺越には公共下水道がなくて河川放流です。この放流基準をクリアできるシステムとして積水アクアシステムの微生物固定化担体(セキスイ アクアキューブ)+ 回転円板装置+ 汚泥脱水機からなる三位一体の排水処理システムを採用、施工してもらいました。
- 獺祭の呑み心地が知られるほどに需要が増え、工場も増産につぐ増産という状態であったようですが?
- 桜井会長:獺越の川辺に並ぶ本蔵、第2蔵は純米大吟醸だけの酒蔵。精米工場で磨いた酒米を運んでくるのですが、 この酒米を酒蔵の水で手洗いし、さらに磨き上げる。この酒米のとぎ汁と、製瓶工場から届いた新しいビンの洗浄水をセキスイの排水処理システムで処理し、河川に放流しています。
これ以降は会員の方のみご利用いただけます
会員登録済みの方
未登録の方