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積水化学グループの歩み
勝者の民を戦わしむるや、
積水を千仭の谿に決するがごときは形なり 孫子「軍形篇第四」
「積水」の社名は、中国最古の兵法書「孫子の兵法」に由来しています。
「勝利者の戦いは、満々とたたえられた水(すなわち積水)を深い谷底に切って落とすような、激しい勢いの得られる形のもとに、一気に決められる」というものです。企業活動で直面する問題を解決するためには、その問題の実情をよく知り、十分な分析をしたうえで、しっかりと体制を整えることが大切です。
そして、満ちあふれる「積水」の勢いで勝ち抜きたい-私たちは、「積水」の社名に誇りを持っています。
プラスチック製品のパイオニアとして(1947年~1950年代)
創業(1947年)
新しい素材である「プラスチック」の成形・加工メーカーを目指して誕生した積水化学は、設立してまもなく、プラスチック工業化のために、他社の染料研究所を借り受け、京都研究所を開設。加工メーカーとして日本のプラスチック産業をリードすることになります。
1947年10月、国産初の射出成形機を譲り受け、名古屋の仮工場で試運転を開始。セーラー社のボールペン軸を受注し、日本最初のプラスチック射出成形事業をスタートさせました。翌年1月には念願の自社工場を奈良市に開設。これを機に「積水化学工業株式会社」と改称しました。
日本の生活にセキスイの製品が普及(1950年代)
戦後復興期から高度成長時、より豊かな生活を目指す日本において、プラスチック製品はその用途を急速に拡大させていきました。
積水化学は、1948年に2番目の工場として大阪工場を開設。1950年には積水化学の最長寿製品のひとつ「セロハンテープ」の製造を開始しました。
物資不足の時代、壊れたものや破れたものを簡単に修繕できるテープは大変重宝されました。発売後は順調に需要を伸ばし、封筒シールや缶詰用防湿テープとして利用されるとともに、家庭やオフィスの常備品になりました。
1953年に尼崎工場を開設し、ポリエチレンフィルムの製造を開始しました。ポリエチレンフィルムの耐水性、耐薬品性、電気絶縁性は、包装資材に最適で、食品、衣料品、機械部品などあらゆる分野で大きな需要を獲得しました。
1955年、米国でポリエチレン製バケツが初めて発売され、その2年後に、積水化学が発売した「ポリバケツ」は、日本の家庭にプラスチックという素材を強力に紹介する商品となりました。従来バケツはブリキ製でしたが、素材の軽さ、明るいカラー、使いやすさは、今までの生活用品のイメージを一新し、特に主婦の方々には大好評を得たのです。
エスロンパイプの誕生(1952年)
創業事業であるプラスチック射出成形事業は、大型成形機を導入するなどして、大型成形品への展開を図っていきました。1951年には熱可塑性による“割れない電話”で工業技術庁長官賞を受賞。これは日本初の12オンス射出成形機によるもので、射出成形事業大型化へのスタートとなりました。
1952年、新設された京都工場で硬質塩化ビニル管「エスロンパイプ」の本格製造がスタート。1954年に東京都水道局から指定承認を受け、さらに1955年に、東京工場で塩ビ管継手の射出成形に成功。継手を開発したことで施工性が格段に向上し、エスロンパイプは飛躍的に普及しました。
その後、給水分野から排水分野、さらには建築分野、土木分野、電力通信分野、プラント分野などほとんどの分野を網羅する汎用性の高い管工機材に成長し、今日まで積水化学を代表する製品であり続けています。
発展への道のり(1950年代~1960年代)
生産基盤の強化―工場建設ラッシュ①(1950年代~1960年代)
積水化学は、1953年に尼崎工場を開設し、同年に東京工場を開設して東日本地区での生産拠点を確保しました。 1956年には大阪で2番目の大阪旭工場を開設し、日本初のプラスチック製雨とい「エスロン雨とい」の開発に取り組んでいます。そして、1957年には、奈良に新工場を設置。これにより奈良工場は東洋で最大、世界でも有数のプラスチック成形工場となりました。
さらに経済成長による需要拡大に対応すべく、1960年に、滋賀栗東工場、滋賀水口工場を開設しました。滋賀栗東工場は、現在の環境・ライフラインカンパーの主力工場に、滋賀水口工場は、高機能プラスチックスカンパニーの主力製品である合わせガラス用中間膜の日本の生産拠点に発展していきます。
1962年には、東京工場に続く関東の生産拠点として、武蔵工場を開設。首都圏での包装資材の需要増に対応し、テープ、フィルムの生産体制を整備しました。
また1970年には、最新鋭の可塑剤工場となる堺工場を開設するなど、日本の高度経済成長のスタートと前後して、積水化学は、着々と基盤を拡大させていきます。
また、生産基盤の拡充と並行して、1961年には水無瀬(大阪府)に中央研究所を開設して、さらに際立つ新製品開発のための研究開発と技術革新に取り組んでいます。
町を清潔にする運動(ポリペール登場)(1962年)
積水化学が、1961年から本格販売を開始したプラスチック分別回収容器「ポリペール」は、日本のゴミ処理問題の解決に画期的な製品となりました。東京都により、各家庭のゴミをポリペールに入れて戸外に出しておき、ロードパッカーがゴミを回収してまわるという新しいゴミ処理システムの方式が、採用されました。あわせて積水化学は、1962年の創立15周年記念キャンペーンとして「街を清潔にする運動」をスタートし、ゴミ問題に関する消費者への提案活動を展開しました。
公共性と結びついたこの活動の効果もあり、東京都での爆発的な普及に続き、全国でも同様のゴミ処理システムが浸透していきました。こうした活動は、「事業活動を通じて、社会に貢献する」という社是の実践そのものであり、積水化学の企業イメージを強く印象づけ、現在のCSR活動の起源にもなったといえるでしょう。
日本の製造業として米国に初進出(1963年)
1963年、積水化学は、米国のペンシルベニア州に発泡ポリスチレンペーパーの製造を行うSekisui Plastics Corporation(SPC社)を設立しました。SPC社は、積水化学初の現地生産による海外進出であり、また、日本の製造業の米国進出第1号でもありました。同年、シンガポールにスズ鉱山用水や水道用パイプの製造を行うSekisui Malaysia Co.,Ltd.が設立されるなど、以後、1970年代半ばまで積極的に海外進出を進めていきました。
積水化学を代表するグローバル製品「ソフトロン」と「中間膜」の誕生(1960年代)
1968年に、事業化された架橋発泡ポリエチレンシート「ソフトロン」。
独自開発した画期的な発泡技術により、優れた断熱性や衝撃吸収性を持つソフトロンは、浴室用のスノコなどの家庭用品から自動車用内装材まで幅広い分野に展開され、積水化学の主力製品に成長しました。
また、1960年の滋賀水口工場設立と同時に、合わせガラス用中間膜「エスレックフィルム」の製造が開始されました。
1975年頃から、輸出自動車の生産量増加に伴う需要の伸びに対応して、品質向上と独自の生産技術開発に取り組み、1987年には、生産開始から27年目にして安全ガラス装着が国内で法制化され、さらに需要が急増しました。遮熱性、遮音性にも優れた「エスレックフィルム」は建築用の需要も拡がり、時代とともに、その用途も進化していきました。
現在、ソフトロンとエスレックフィルムはともに世界で高いシェアを持つ積水化学を代表するグローバル製品となっています。
多角化の推進(1970年代~1980年代)
セキスイハイム誕生(1970年)
1970年代に入り、通貨変動相場制への移行やオイルショックを経て高度経済成長期が終焉を迎えるなかで、積水化学はプラスチック事業で培った技術を発展させ、事業の多角化を進めていくことになります。そして現在の積水化学を担う新製品・新事業が次々に開拓されました。
そのひとつがユニット工法住宅「セキスイハイム」です。積水化学の住宅事業の歴史は長く、1960年に“セキスイハウスA型”の試作に成功し、発足したハウス事業部を分社化、積水ハウス産業株式会社(現:積水ハウス株式会社)を設立しています。
現在の住宅事業の本格的なスタートは、1970年に、セキスイハイム第1号商品「セキスイハイムM1」を開発したことに始まります。工場生産率80%を超えるユニット工法による、高品質、高性能、コストパフォーマンスの高さ(当時 坪当たり13.4万円)を実現したセキスイハイムは、良質安価な住宅の供給が急がれていた日本の住宅業界において、たちまち脚光を浴びることになります。1970年の「東京国際グッドリビングショー」で初登場。翌年、発売されたセキスイハイムは、1974年には累積受注が1万棟を突破。発売から3年で大手プレハブ住宅メーカーの仲間入りを果たしました。1975年に、ロングセラー商品「パルフェ」の基礎となる「ハイムM3」を発売し、1982年には、木質2×4ユニット工法の「セキスイツーユーホーム」を発売するなど、意欲的に新製品の開発に取り組み、日本を代表する高性能住宅として進化を続けています。
事業分野のさらなる開拓(1970年代後半~)
積水化学のメディカル事業は、1979年、中央研究所内にメディカルプロジェクトを発足させたことに始まります。独自の高分子技術をベースに、医療分野での研究をスタートし、1984年には事業部化され、ラテックス検査薬や真空採血管などが伸長しました。2006年以降、国内外においてM&Aを実施し、2008年、積水化学のメディカル事業の中核会社として積水メディカルが誕生しました。以降、臨床検査薬を中心としたメディカル領域において、グローバル社会に貢献する企業を目指し、さらなる事業の拡大に取り組んでいます。
高度経済成長期から、主に電化製品向けの外装用部品の供給などに取り組んできたIT(エレクトロニクス)分野では、1987年に応用電子研究所(現:R&Dセンター)が開設され、それまでの技術の蓄積をベースに最先端の研究開発の強化に乗り出しました。近年のIT化の進歩に伴い、半導体、液晶関連分野を中心に、微粒子技術、粘接着技術、精密成型技術のコア技術を活かした製品を開発。そのうち、液晶用スペーサー、導電性微粒子、ブチラール樹脂、UVシール剤は、世界のトップシェアを占める製品です。
1980年代前半、IT(エレクトロニクス)やバイオなどの先端産業の発展に伴い、工場・プラント用のパイプ、バルブの需要が急増しました。積水化学は、薬液に対する耐食性や耐熱性、対衝撃性などが求められる工場・プラント向け製品として「エスロンバルブ」「エスロンクリーンパイプ」などを開発しました。現在、管材の総合メーカーとして、工場・プラント分野の配管ラインをトータルサポートしています。
また、戦後40年以上が経過した日本では、都市部などで下水管の老朽化が著しく、多くの道路陥没事故等が発生していました。しかし道路の下に埋め込まれた下水管の工事には、多額の費用に加え、道路交通の規制や廃棄物発生の問題も抱えていました。こうした問題の解決に向けて、積水化学は、1986年、管路更生工法「SPR工法」を開発しました。SPR工法は、帯状の硬質塩化ビニル樹脂で管の中に更生管を築造し、裏込め材により既設管と一体化させて管路を更生させる工法です。管路の更生は、下水道だけでなく上水道や農業用水路などにも求められ、また、日本だけでなく世界各国の都市に共通する問題です。積水化学は、時代の要請に応じた「SPR工法」の技術・ノウハウをさらに進化させ、管路更生事業のグローバル化を現在まで進めています。
「選択・集中・奮進」(1990年代~)
高収益化への挑戦
1970年代からの事業の多角化などにより、飛躍を遂げた積水化学は、1991年のバブル崩壊後の日本経済の低迷や世界同時不況などの厳しい事業環境に直面します。
これに対し、1999年から事業再編や生産拠点の統廃合などの構造改革に取り組み、業績の早期回復と強固な経営基盤の確立を図り、2001年には、現在の3カンパニー制を導入、以降は、「住宅」「環境・ライフライン」「高機能プラスチックス」の3つのカンパニーを真の収益体質にするための施策を推進していくことになります。
住宅カンパニー
住宅カンパニーでは、新築住宅事業において「環境」を基軸とした商品力強化および販売体制の再編による営業力強化とコストダウンを行い、競争力向上と収益力回復を図りました。また成長分野であるリフォームなどのストック事業の強化にも注力しました。
環境・ライフラインカンパニー
環境・ライフラインカンパニーでは、基盤事業である管材関連事業と住宅資材事業の生産・物流の効率化や構造改革を徹底する一方、管路更生事業や機能材事業などの成長分野をさらに強化し、中国市場をはじめとしたグローバル市場への事業進出を本格化させました。
高性能プラスチックスカンパニー
高性能プラスチックカンパニーは、海外事業拡大を中心とした成長戦略と経営基盤強化に取り組み、液晶用微粒子製品や高機能樹脂などのIT分野、中間膜、フォーム事業などの車輌材料分野、検査薬事業を中心としたメディカル分野の事業を強化して、利益拡大を図りました。
CSR経営~事業を通じて社会へ貢献~
1997年12月、京都で第3回気候変動枠組条約締約国会議が開催され、京都議定書が採択されました。気候変動が経済・社会に及ぼす影響が大きくクローズアップされ、日本企業に対する地球温暖化ガス(GHG)削減の動きがますます強まり、環境問題が避けて通れない課題となってきました。
こうしたなかで、積水化学は、「環境」を重要な経営基盤の一つとして位置づけ、エコロジー(地球環境への配慮)とエコノミー(お客様と企業の経済性)を両立させ、継続的な成長を図るとともに社会的責任を果たす「環境創造型企業」を目指します。
「自然」に学んだ基礎サイエンスの知見を活用しようとする大学・研究機関の研究活動支援を目的とした「自然に学ぶものづくり研究助成プログラム」は、2002年の創立55周年記念事業の一環として毎年実施
写真は、自然に学ぶものづくり研究助成プログラムの授与式とあわせて行われるフォーラムの模様
2003年4月に、環境配慮への取り組みの追求を目指し、環境配慮製品の売上高増や木材の再資源化などの新事業開発をすすめることなどを目標とした環境中期計画「STEP‐2005」を策定。2005年4月には、環境経営の取り組みをさらに強化するために、環境経営ビジョン「環境トップランナープラン」を策定しました。
2005年からは、「環境」「CS品質」「人材」の3つの“際立ち”と、基盤となる「コンプライアンス」「リスクマネジメント」「情報開示と対話」の3つの“誠実さ”を柱として、本格的にCSR経営に取り組み、社会の期待に応え、事業活動を通じて社会に貢献する企業を目指しています。
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、被災地をはじめ日本全国に大きな影響を与えました。積水化学は、製品の供給責任を果たすとともに、より安全・安心で省エネルギーな住宅や、災害に強いインフラを社会に提案・提供していくことで、さらにサステナブルな社会づくりに貢献しています。
100年経っても存在感を持ち続ける企業を目指して「GS21-SHINKA!」 (2009年~)
2008年9月のリーマン・ブラザースの経営破綻が引き金となり、世界的な金融危機(世界同時不況)、いわゆるリーマンショックが起こりました。
そのようななか、積水化学は、2009年度に「フロンティア」「モノづくり」「人材」という3つのSHINKA(進化・深化・新化)への取り組みを基本戦略とした新中期経営計画「GS21―SHINKA!」をスタート。
リーマンショック以降の景気低迷を乗り切るべく、最初の2年間(2009年~2010年)は足元固めの期間として、構造改革や固定費削減などによる収益体質の強化と、今後の成長に向けての戦略基盤の強化を行いました。海外を中心にM&Aなどの拡大投資に注力し、特に高成長事業分野と位置付けた「フロンティア7(住宅ストック、管路更生、水インフラ海外、機能材、AT(車両材料)、IT(電子材料)、MD(メディカル)」を中心に事業拡大に取り組みました。
2011年8月、積水化学は、中期経営計画「GS21-SHINKA!」セカンドステージローリングプランを発表。
このローリングプランでは、
- 周辺事業や川上・川下事業を取り込む「バリューチェーン展開」
- 海外売上倍増を狙いとした「グローバル展開」
- “環境・ストック・エネルギー”
をキーワードに新しい需要を開拓する「新成長セグメント開拓」の3つの戦略を打ち出しました。
3つの戦略は、相互に連関し合い、三位一体となりながら、ビジネスモデルの変革を実現することを狙いとしています。
住宅カンパニーは、2011年4月に、ホームエネルギーマネジメントシステム(HEMS)を標準搭載した「スマートハイム」を発売。また、海外(タイ)での本格展開へ向け、年間生産能力1000棟の戸建住宅量産工場を新設予定です。
環境・ライフラインカンパニーは、2011年6月、水処理事業会社と業務提携契約を締結し、水処理施設と管路の包括受注体制の構築に乗り出しました。グローバル展開では、管路更生事業における欧米の施工パートナー拡充に取り組んでいます。
高機能プラスチックスカンパニーIT分野では、2011年4月に、ITOフィルムの製造・販売メーカー買収し、新分野(大型の光学用途向け構成材料)へ進出。また、車両材料分野では、合わせガラス用中間膜事業を中心に、海外拠点を最大限に活用し最適なグローバル生産・販売体制を構築し、新興国への展開強化の第一弾として、8月にインドにおいて車輌部品成型事業の合弁会社を設立しました。
創立65周年記念イベントとして開催された「世界こどもエコサミット2012」サミットでのこどもたちからの提言を受けて、「SEKISUI環境ウィーク」を制定
2017年3月、積水化学は創業70周年を迎えました。
「100年経っても存在感を持ち続ける企業」を目指し、
今後もSHINKAし続けていきます。